臨床研究による槐耳(カイジ)療法の普及は、当初1年を予想していたが、今般、解析結果の凄まじいインパクトに鑑み、幹細胞研究(幹細胞の正常分化能と生体内安定性の検討)と相まって共同研究機関の拡充、研究期間の延長、ボランティア募集期間と人員の延長と拡充のため、大きな動きが開始された。
すでに、得られた解析結果による激震も各所に起こっていおり、何より、槐耳療法の信頼性を説明できる基盤データの完備はうれしい限りである。
ここで、癌を克服したにもかかわらず、その後困惑する副作用?を観察したので、記載しておく。病という悩みがなくなったために、忘れていた人生そのものの困難に直面したために、精神変調を来した例を何例か観察した。
臨床研究の進捗のおかげで、特に大腸病変については、正常から過形成、良性腫瘍(adenoma)、悪性腫瘍(adenocarcinoma class 5、粘膜下層浸潤を認める)、癌+多臓器転移、までステージを網羅したサンプリングが出来ている。
槐耳療法は、ステージIIIbまでなら、快癒可能であることが臨床例で示されているが、特に、悪性腫瘍(adenocarcinoma class 5、粘膜下層浸潤を認める)の例では、診断時より3ヶ月経過していること、病巣も横行結腸とS字結腸に近い下降結腸部と2カ所あり、早い対処が望ましいと心配していた。槐耳20g投与後2週間で内視鏡下手術を予定していたが、他の専門家の意見をうかがうと、未分化の悪性腫瘍の場合、内視鏡下手術の適応にならないというコメントもあり、心痛していた次第である。
しかるに、2週後、予定通り、一度に2カ所の内視鏡下手術による癌病巣除去が成功し、
1.3ヶ月経ているにも関わらず、腫瘍径(2.5−3.0 cm)の増大が観察されなかった。かえって、直径はわずかではあるが縮退気味と観察された。
2.粘膜下浸潤は観察されなかった。
3.病巣表面が出血斑となって盛り上がり、その表層がしっかり肥厚した粘膜にて覆われ、いわゆる封じ込め状態を観察した。
このマクロ観察所見は、槐耳療法を行わない同様の患者例(adenocarcinoma class 1から2?)においては、4週間で1.5 cm径が2.5 cm径に拡張していたこと、かつ、表層に新生血管造成が認められたことと比較すると、有意な差を認める。また、その後の病理学解析においては、切除標本内の癌細胞型については一切触れておらず、ただI期早期癌、とのみ記載されていて、術前診断との整合性については触れていない。
術後2週目、槐耳服用1ヶ月目において、患者は体重増、血便の消失、全身状態の改善、特に皮膚においては血行循環改善が顕著で、顔の表情、顔色が明るくなって若返り効果が顕著となり、周囲が別人かと思うほどであった。
ここまでは、完治宣言とも言える術後回復効果で大変安心した次第である。
臨床研究の最後として、槐耳服用3ヶ月目の採血時に私はまた驚かされることとなる。まず、採血として指定した場所に到達できないという事象が生じた。既に来たことのある場所であるにも関わらず、指示通りのアクセスをしなかったために、どうがんばっても到達できないという現象が生じたのである。
さらに、一目みて、顔色が土気色、体重減、全身状態は血便がないというのが同じ程度、表情は固く、動きも鈍い。通常会話が滞って応対ができないという状態になっていたのである。
完治おめでとう、から始まり、多発性ポリープの存在から、5年後程度の再発予防につき話そうとすると、5年後には存在していないから心配いらない、自分の癌は、出来ても半年以上放りっておいても大丈夫な癌だから、今後心配する必要はないと執刀医に言われている、と一方的に空を見つめて話すのみ。
この症例にそんなことを言うまともな医師がいるはずがないので、ここに至って、精神変調に思い至り、とにかく当方から何か発信することを中止し、観察したところ、言葉のサラダのような脈絡のない言動はさておき、これまで主として病気の治療に集中していた精神が、もうその必要がなくなって生き続けることが判明したとたん、私どもにはあずかり知らぬ、据え置きしていた人生の問題に直面し、精神的に破綻しそうなほどの重みになっていることが明らかとなった。
不安に負けるな、と言うことは簡単である。しかし、不安の泥沼に自ら沈み込み、そこから抜け出す手段を自ら放棄し、周囲にやりきれない思いを発散するしかない精神変調が、癌からの快癒に伴う副作用として生じることについては、ついぞ思い及ばなかった。
生きるということは、付随する諸事情が実物大でせまってくるということでもある。生き続けるということが明らかになったある種の人々には、それがやりきれない思いに直結する(らしい)。
解決法の云々より、私が言えるのは、生を生きないと死を死ねないということ。生き続けることがわかったとき、病気の克服とともに学んできた勇気、自信、それらを活かして本来の知恵となすことはそんなに難しいことではないはずである。克服した難題を思えば、自分への信頼が次の成功を生む。
袋小路に迷い込む精神を見つめ直し、ぜひ自分の生を生きることに躊躇しないでほしいと願うものである。