闘病中の精神変調あれこれ

ーだって、生きて生きて生き続けているじゃないのー

 癌の末期と言われるステージに入ると、諦めと諦めたくないがせめぎあって、容易に鬱(うつ)状態へ傾斜していく。それでも何か出来ることを、という患者や家族のために、劇的に効くとは言えないにしても、槐耳(カイジ)療法を施行した経験について書く。

 槐耳は、痛み緩和には効かない。自分自身の帯状疱疹で確認した。

 槐耳は、感染症には効かない。たとえば、インフルエンザ予防にはならないし、諸症状には効かない。免疫賦活能より、ウイルスの感染力が上。

 だから、末期の緩和ケアで、あと一週間と言われたひとに、あまり適応があるとは思えず、だから例数も少ない。

 しかるに、最近経験した3例では、現在、100日目、63日目、45日目(亡くなった)という方が一人ずつという経過(結果)である。100日を迎えた方には、大変感謝されて、いや、そんなに何もしていないと恐縮するばかり。

 笑えるのは、本日63日目を迎えた方である。1日20gのまずい槐耳はちっとも効かない、便秘が治らない、と文句しか言わない。理学療法による体幹筋のこりほぐしツボマッサージ温灸による対症療法も合わない、効かないと実に文句だらけである。で、次の週には緩和ケア病棟を追い出された。緩和ケアでは、検査もしてくれないので、退院してからCTを撮りに行ったそうだ。肝転移が見つかったそうで、また怒っている(詳細不明)。

 私は、槐耳療法の仲介者として、文句の矢面に立たされているのだが、周囲に言わせると、その理由が槐耳だけじゃなくて、私だけが、普通の対応をしている、つまり、患者としてではなく、個人として普通の人間の対応をしているからなのだそうだ。他は、家族はもちろん、親しい友人などは、明日死んでいく相手として、腫れ物に触るように、刺激しないように、と患者扱い(実際に患者だ)し、私だけが、明日も嫌味を言い続ける悩み多きひと、という対応をしている。そう、悩みが多いひと、というのが私の捉え方で間違いない。

 患者が、生きて、生き続けて、呼吸して、食事して、寝て、トイレに行って、という現実が変わらず毎日繰り返されると文句を言われているのが、槐耳療法の末期患者補助の実際である。

 生き続けていることへの困惑が最も感じられるのは、本人に違いなく、それが容易に精神を鬱(うつ)に傾かせていくのであるが、この八つ当たり、怒りがその転換点である。やりきれないからと逃げてしまえば、患者は八つ当たり対象を失い、隔絶されていくしかない。八つ当たりされる方はそれこそもう逃げたいのであるが、ここで逃げたら、先が見える分だけ、逃げられない。

 仕方なく、今日は曇天で天候悪し、それにしても木々は育つ、銀魂2の公開まであと何日、などという当たり障りのない?メールを送るのが関の山。

 ああ、これでまた今日も文句が来る。こういう患者は、刺激した方がいいのか、それとも?