癌の治療には、
1)本人の治ろうとする意志、
2)家族や周囲の励まし、さらに
3)効果的治療方法、
が必要です。当たり前のことを繰り返すのは、先日、全く治そうとする意志のない方に出会ったからです。俗に神頼み、と申しますが、もはや神にも願うことはない、という心の空白、生きることも死ぬことも放棄した、何の表情もなくなったという生の果て、という顔貌を診ました。この方は、家族の誰一人、自分が治るために何かしたい、と思っていないことに気づいたのです。そういう家族を守り育ててきた人生への絶望でした。
私どもは、この患者様が治るためにどうすればいいか、が見えていても、どうすることも出来ず、また、この家族はご宗旨のために、違う医療を施したら訴える、という脅迫状を、医院はもちろん、応援してくれる周囲の方にまで送ったのです。
私は、地下鉄サリン事件発生当時の聖路加病院を思い起こし、決して諦めない自己犠牲が医療の本質であることを踏まえ、ほとんどのひとが放棄して近づかなくなったこの患者様の救いは何かと思い悩む日々であります。
しかし、ここで肝心だと思うのは、自分自身の選択であろう、ということ。病に限らず、恐ろしい現実を目の当たりにしたとき、怖れてもいいが、自分が望むことをしっかり把握し、必要ならば世界の中心で叫ぶことです。
格言にいわく、怖いと思った途端に、思った自分を見つめているのだそうです。日頃から鏡をよく見て、怖いと思ったら、それが理由がないこと、そして、解決のための選択肢の数々を想い出しましょう。想い出せなかったら、想い出しそうなところにかたっぱしから連絡して、ヒントをもらいましょう。その勇気があるひとが、道を見つけるのだと思います。
本当に怖いのは、見つける努力を放棄すること、自分で選択できなくなることです。
患者家族としての心身の疲弊に気がつこう(患者が治るために)
癌の治療方法については、私自身は、世界に冠たる華岡青州先生の大きな功績に敬意を表して、できるのであれば外科的な体外除去賛成派であります。内容は、程度問題で、後難を恐れて必要十分以上の大規模な臓器除去ではなく、できるだけ侵襲の少ない、優しい方法が選択したい。また、そういう時代が到来しています。
その後押しをするように、診断後の槐耳(カイジ)等による補助療法による病巣封じ込めが可能になってきました。最近、中国からは肝臓癌1,044人の臨床解析から、術後の効果的槐耳投与が再発・転移防止に顕著な効果があるという論文が発表されました。仕事に10年近く、発表に1年近くかかったという大力作です。実際に、お仕事されている先生方と去年協議し、術前からの槐耳使用でもっと効果的になっていくだろうと話したものです。
中国での癌治療は、間違いなく患者は癌のみならず、病気から治りたいし、家族は応援するし、補助療法と除去手術の協調体制が非常に良い。問題は、医師の手術がうまいか、下手か、ということに集約していて、つまりは、かかる医院をどう選ぶかが問題。何せ広い国なので、上海や、瀋陽の先生のところは、病床確保できなくて、また、患者様も人種があまりにも混淆していて、米国の比ではありません。言葉も違いますし。大規模にひとと、ものと、情報・技術が動くエネルギーに感銘を受けずにおららえません。
しかるに、日本では、治療の根幹となる、1)も2)も、残念なことに曖昧っどころか否定的な例が増えました。最初は治ってほしいと思っていた家人も、闘病が長くなり、経過が大変になるにつれて、人生に余分なストレスという意識の方が強くなる。気持ちを否定はしませんが、患者家族へのケアがおろそかになった結果として、家族の心の荒廃を体感する患者が治ろうという気力がなくなる。
臨床研究していて、今回あまりにも驚いたのは、家族の支援がある、ない、でどれほど癌治療の効果に差が出るか、いうことです。これは、確実に患者の意識に直結します。
このような状態は、昭和になってからの結核に酷似しています。ちなみに、癌の病人食のすすめ本を見ると、ほとんどかつて結核病棟にて試行錯誤された内容と同様で、昔は、家族本位だった。家族が、できることを、出来る以上にがんばっていた。
現状での最も大きな差は、材料も心もかえって貧しくなっていることです。たとえば、人間の身体のほとんどが水分なのに、肝心要の、水の質について論じられていません。作る前の水、食材、患者の要望、幸田文の「闘」や「おとうと」という先品にも、香味付け、スパイスについて触れられているのに、患者の食欲や食性を改善しようという、心について触れられていない。
それほど、看病する側の心身、経済の疲弊がひどい。
ただ、今も昔も同じなのは、心を込めて、というところ。患者と家族、周囲の一致団結した協調体制が必須なのです。患者は、具合が悪いのだから、機嫌が良いはずがありません。そういうひとの相手をするのは、とても精神的に落ち込みます。それなのに、自分が疲れてしまうことは肯定できても、つらい患者のなくならない不具合を思いやることができなくなってしまう。
家族という概念と内容がこれほど変化していく日本の事情に合った闘病とは何か。やはり、患者の個としての自立、選択できる自分をまず作ること、と強調したいのです。自分が何を求めるか、世界の中心で叫んでみましょう。叫ぶ自分がいれば、最初の難題はクリアです。
最後に、当研究所では、毒性・副作用の強い癌治療に対する補完療法確立の一環として、今般、カイジ(槐耳)効能の分子基盤解明の臨床研究を行っております。これに当たり、がんの診断を受け、これから治療される患者様で、補完療法に興味を持つ患者ボランティア様を広く募集しております。
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