長年、医学研究に携わってきて、医学研究データを読むことが日常であるが、この医学研究データで結果を述べるに当たり統計学が使われることがほとんどである。そこで思うのではあるが、この統計学は医学研究者は効果の有無をその統計学を駆使して、有意差があった、なかったということで判定するわけである。私も今まで疫学研究等でその統計を使って来たわけであるが、あくまで医学生のときに習った医学統計学であり、統計学の本質の有意差検定というものの真の意味は理解していない。統計学の数学を使い、そこに数値を入れ込んで計算し、その結果、有意差検定結果がp<0.05ゆえ有意差あり、p<0.01ゆえ大いに有意差あり、p>0.05ゆえ有意差がないのでその研究結果は意味がない、と報告してきたわけである。その有意差というものは多くの数のデータを実験の前後の値を比較して出すわけであるが、本当に違いがあるならば、その値を前後でドットで表して見れば一目瞭然のわけであり、それが分からないほどわずかな違いしかないため、統計学という技術を使い、ちょっとの差が本当に違いがあるのかないのかを示すわけである。そんなに差がわずかしかないような医療技術や医薬が本当に意味があるのか、非常に疑問に思うこともある。さらに、医療従事者として思うに、癌患者さんにはいろんな抗癌剤や最近は分子標的医薬という新薬を使ったりするわけであるが、これらは患者さんに大いなる苦痛を伴う副作用の頻度が高い。それまでして、新薬と従来の医薬と比較して延命効果が統計学的に数日や数ヶ月あったと言う報告が多々なされている。もちろん、どの医師もジレンマを感じてのことと思うが。これだけ苦痛を伴ってまで長く生きることに意味があるかというと医学者には意味があるかと思うが、患者にとっては苦痛を伴って普段通りの生活ができないでの延命は意味がないと心の中では大いに感じていると思うが、患者は弱い立場なので声を出して医者になかなか言えない。私どもはその中でなんとか日常生活を送りながら、さらには長生きができる、癌の苦痛を感じないで、治らないまでも亡くなる直前まで普段通りでいられるように、今「カイジ」という中国抗癌剤にめぐり逢って、すこしでも癌難民と言われる人たちに心の安らぎが与えられたらと思って止まない。もちろん、副作用で苦痛を伴わない抗癌剤が一日も早く開発されることを望まない日はないが。